愚かな伝道

匿名より:

 最近、道端でみた教会が人集めに必死なようで、またその正当化に躍起になっているさまをみて何ともいえない気持ちになりました。「伝道とは人を増やすことではない」というのは当然すぎる事柄です。教会を集っている人数で把握しようとすることは、会社情報をみるのと同じであって、それは教会住所を確認する程度の話でしかありません。HPを閲覧する程度の話です。

 にも関わらず「伝道とは人が増えることである」というような暗愚牧師が散見されることには怒りと呆れを覚えます。この手の暗愚どもには、さっさとゲヘナでも天国でも殿堂入りしてもらい倉庫に詰めることこそ、世のため人のため神のためではないかと思います。

 そもそも人口減少が前提である日本において、教会の構成員が減少することもまた規定路線です。その中で、本当に教会に人がいる、ということを実現したいならば、教会が社会の一員になること、もっといえば本田哲郎神父のように「小さくされた人々」とともに歩むあり方でしか実現しないのではないかと思います。

 さらに愚かな引用をしますが、この手の暗愚どもは民数記や第二サムエル24章を読んだことがないのでしょうか。頼るは神ではなく、人間の頭数だと公言して憚らないのですから、呆れます。人間に頼るにしても、歴史と伝統に学ぶわけでもないので、まったく、彼らは神学校で何を学んだのか、何も学んでいないではないか、と訝らざるを得ません。谷沢をみた安西先生の心中が慮られます。

 また一言に「伝道」といっても、その意味内容が違うので仕方ありませんが、伝道理解の狭量さが軽佻浮薄で愚昧な人間理解をそのまま体現しますから、愚かにもほどがあるというか、ただただ暗い気持ちになりました。

 何某さん、このあたり、いかがでしょう?2016.10.15 午後一時半前