伝道について、何某より

 『「伝道とは人が増えることである」というわけではない』という匿名様の主張、 深く同意いたします。

じゃあ何なのか、うーん、何なんでしょうねえ。ちょっと考えてみますね。

 

 そもそも人を「伝道」に駆り立てる最大の要因って「わたしがこの人を救いに導かなくては、この人は滅ぶ」という責任感(ないし強迫観念) だと思うんですよね。この責任感(ないし強迫観念)の延長線上に「救いに導かれた人の増加」という目標が「二次的に」発生していると思うんですよ。 つまり「救われる可能性を持ちつつも、『わたしの介入』なしには滅ぶ民の群れ」が「伝道熱心な人たち」の目には見えているんでしょうね。

 そんなヴィジョンを目にしてしまったら、伝道熱心にならざるを得なくなるだろうなあ、 ということもなんとなーくわかるんですよ。なーんとなーくですが。

 

 でもねえ、最近思うんですけど、結局のところ人間って「教えを乞いに来た人」にしか、教えを伝授できないように 出来てるんだと思うんですよね。「教えを乞いに来ていない人」に必死に教え伝授しようとすることくらい、 時間と労力の無駄はないと思うんですわ。

 やっぱり「ご縁」があれば、絶対にどこかで「教えを伝授する機会」って、生まれてくるはずだと思うんですよ。 そういう意味では常に「伝道するための準備」はしておいたほうがいいはずなんですよね。ご縁に備えて。

 

 伝道は一瞬の間合いで終わる作業なはずですから。 だらだらやるもんじゃない。

 

何某より